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被災地への思い 演歌「恋し浜」   

2012年 05月 09日
山登りする時によくラジオを聴きながら登るのですが、月曜日に山登りした時に聴いたラジオで演歌歌手の大沢桃子さんのことを紹介していました。

大沢桃子さんは、岩手県大船渡市の出身で、演歌では珍しいシンガーソングライターだそうです。
大船渡市は、震災の津波で大きな被害を受けました。
大沢さんが、2月に被災地への思いを込め、新曲「恋し浜」という曲を発表しました。

歌手:大沢桃子 作詞:なかむら椿 作曲:幸耕平

もしもあの日に 戻れるならば
波よ返して 想い出を
海を憎んだ訳じゃないから
せめてもう一度 帰りたい
ここで生まれて ここで育った
忘れられない 町だから
恋しくて 恋しくて カモメが啼いた
恋しくて 恋しくて 私も泣いた
夕日に染まる・・・恋し浜

たとえ夢でも 逢いたいけれど
海を見つめて 呼びかける

声も仕草もこの目に浮かぶ
今もあなたが 居るようで
空の向こうに 遠い故郷
汐風(かぜ)が歌うよ 子守唄
恋しくて 恋しくて カモメが啼いた
恋しくて 恋しくて 私も泣いた
星降る夜の・・・恋し浜

ここで笑って ここで過ごした
忘れられない あの頃が
恋しくて 恋しくて カモメが啼いた
恋しくて 恋しくて 私も泣いた
朝日が昇る・・・恋し浜

作詞のなかむら椿という名は大沢桃子さんの作詞家としてのペンネームです。

岩手県大船渡市の三陸鉄道南リアス線に、恋し浜という名前の駅があります。
この駅は、もともと小石浜駅という駅名だったのですが、「恋し浜」というホタテのブランドができたことがきっかけで、「恋し浜」の知名度向上を狙う漁業側とロマンティックな駅名で集客向上を狙う鉄道側の考えが一致し、恋愛成就の地として駅名を平成21年7月20日に恋し浜に変更しました。
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神社の絵馬のように恋愛成就の願いを込めてホタテの貝殻に願い事を書き、駅の待合室にぶら下げると恋の願いが叶うそうです。
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しかし、三陸鉄道南リアス線は震災の影響でいまだに運休していたままです。
震災の傷跡がいかに大きかったかがうかがえます。

演歌「恋し浜」は、震災で被害にあった故郷への思いが込められた鎮魂歌です。
歌詞がじ~んと胸に響きます。

by k2hair | 2012-05-09 07:01 | 震災 | Trackback | Comments(0)

「あさイチ」食卓の放射線の報道   

2011年 10月 23日
10月17日のNHKの情報番組「あさイチ」で『食卓の放射線量を測る』という特集がありました。
その番組の内容を10月18日の私のブログで紹介しました。
このNHKの報道について、鵜呑みにはしてはいけないとのご批判をコメントとして頂きました。

中部大学の武田邦彦教授は、自身のブログで「あさイチ」の内容を批判されています。
武田教授は、元は原発推進派の方のようですが、今は微妙な立場のようです。
工学が専門のようですが環境学は専門ではないと思います。

私自身はNHKが「あさイチ」の『食卓の放射線量を測る』という特集で数字の捏造があったとは考えてはおりません。
しかし、世の中にはいろいろな考えの方がいらっしゃるというのがコメントを通じてよくわかりました。

世の中にはスーパーの野菜は食べても大丈夫という人がいても、武田教授のように東北の野菜は食べてはいけないと訴えている先生もいるのです。

どうか皆様は、ご自身の判断で購入して下さい。

by k2hair | 2011-10-23 07:30 | 震災 | Trackback | Comments(0)

食卓の放射線量を測る 「あさイチ」   

2011年 10月 18日
昨日の朝8:15から放送の「あさイチ」で非常に興味深い実験を行っていた。
それは、福島や他の地域で生活する家族の1週間分の献立をすべて放射能に汚染されていないかを調べるという実験だ。

福島県からは2家族。
1軒はできるだけ地元の野菜などを食べて応援しようとしている郡山市の家庭。
しかし、9ヶ月の赤ちゃんがいて、本当に大丈夫か不安のようす。
もう1軒は、須賀川市の農家で、家で食べる野菜のほとんどが自家製。
ただ野菜は出荷しておらず、これまで放射線の検査は一度も受けたことがないという事だ。
水も水道ではなく、敷地内からわき出るわき水を使っている。 

東京からも2家族。
一軒は、普通に買い物をしている目黒区の家庭。
もう一軒は非常にこだわっていて、肉も野菜もすべて関西から西で獲れるものばかりを使っている江戸川区の家庭。ご主人が西の方に出張に出かけた時も野菜を買ってきてもらうて徹底ぶりだ。

他は、札幌、大阪、広島の3家族、全部で7軒。

その驚きの調査結果は・・・

・札幌 セシウム134・・・5.69ベクレル/キログラム
・須賀川 セシウム134・・・3.66ベクレル/キログラム
・江戸川 セシウム134・・・4.05ベクレル/キログラム
・目黒 セシウム137・・・4.1ベクレル/キログラム
・大阪 セシウム134・・・3.4ベクレル/キログラム

福島の郡山市と広島の家庭の食べ物からは、放射能はまったく検出されなかったのです。
この調査は、市町村が行っているよりも正確な調査で、かなり信頼できる数字だそうです。

1番セシウムが多かった家庭でも、単純に1年分に換算しても国の暫定基準値の200分の1にしかならないそうです。

水と今年の新米も各地で別に測定した結果、今回の調査では放射性セシウムは全く検出されなかった。

福島県産のものを積極的に買っている郡山市の家庭の検査結果がゼロだったというのは、本当に以外でした。

原発が、最初に水蒸気爆発を起こした時は、福島に大量の放射能を撒き散らしたのでしょうが、あとは地球が自転している関係で、世界中に均等に撒いたというのが、専門家の教授の見解でした。

つまり、今スーパーなどで売られているものは、まったく安全だということです。
福島県産だからといって敬遠せずに、むしろ積極的に購買して応援してあげましょう!

by k2hair | 2011-10-18 07:08 | 震災 | Trackback | Comments(7)

防災の日   

2011年 09月 01日
今日から9月、今日9月1日は防災の日です。
大正12年)9月1日に発生した関東大震災にちなんで、昭和35年に制定されました。
この前年の昭和34年9月26日に伊勢湾台風上陸したため防災意識を高める目的もありました。

関東大震災の死者・行方不明者は、10万5千人と言われています。
津波も発生し、その被害は太平洋沿岸の相模湾沿岸部と房総半島沿岸部で発生し、高さ10m以上の津波が記録されたと言われています。
千年に一度の揺れの強さと言われる東日本大震災による死者・行方不明者は2万人強ということから比較しても、都会で大きな地震が発生した場合の被害の恐ろしさがうかがえます。

伊勢湾台風も死者4,697人・行方不明者401人と明治以来最大の被害を出した台風です。

現在日本に向かっている台風12号は、どうやらまともに近畿地方を直撃しそうな方向に向きを変えてきました。
滋賀県は、紀伊山地が壁となってめったに台風の被害がない地域なのですが、まれに紀伊水道から大阪湾に台風が入り、淀川沿いに上陸してきた場合にのみ激しい風雨にさらされます。
今回の台風の予想進路は、どうもそのようになりそうな感じですね。

今回の台風は大型ということで、上陸するだいぶん前から雨が降るそうです。
今日は防災の日ということですので皆様ぜひ今日のうちに台風に対する備えをして、お気を付け下さい。

by k2hair | 2011-09-01 07:36 | 震災 | Trackback | Comments(0)

脱原発について思うこと   

2011年 06月 25日
原発の影響で、かなりの人が福島県を脱出している。
特に中学生以下の子供に及ぼす影響が大きいため、福島県内で仕事のあるお父さんを残して、奥さんと子供達で引っ越すというケースも出てきている。
福島の原発は、東京電力の原発であり、そこで産み出される電力は、東北の人たちには共されない。
避難を強いられる人が、「なんで東京の人たちのために俺達がこんな目に遭わなくてはいけないのだ」と言っていたのが、脳裏を離れない。

現代の科学力で、低コストで、効率がよく、二酸化炭素排出量の少ない発電は、原子力発電にかなう物はないだろう。
しかし、それは安全性を無視しての上の事だ。
補償の費用を考えるとこれほどコストのかかる発電は、他にないだろう。

東京電力の言い分だと、今回の事故は想定外との認識だそうだが、津波の来る前の地震の段階ですでに配管のパイプが外れていた事をずっと隠してきた。
そんなに脆い設備でしかなかったのだ。
もっと震源地に近い東北電力の女川原発は大丈夫だったというのに・・・

メルトダウンが起きていたことを最初に記者会見で発表された時のことだ。
東京電力の担当者は、記者に「これは、メルトダウンを起こしているのということですか?」と聞かれて、「そう思っていただいてもかまいません」と他人事のように話していた。
このやり取りを聞いたとき、こんな人間のいる会社が、人の命に関わる業務に携わっている事を恐ろしく感じた。

原発が、廃炉になった後ってどのようになるのだろう?
まさか解体する訳にもいかないだろうし、最後はコンクリートで蓋をするのだろう。
このままずっと何百年も原発に頼り続けていると、日本の海岸はどうなるのだろう。
日本の海岸線は、すべて廃炉になった後の巨大なコンクリートの塊がそこらじゅうにあり、なんとも殺風景な海岸になっていくのだろう。
いや、きっとそうなる前にどこかの原発が、とんでもない事故をやらかして人類はもう地上には住めなくなって皆が地下で生活しなくてはいけなくなるに違いない。
まるで、映画「ターミネ-ター」でロボットから逃れなければならなくなった人類のように・・・

そうならないためには、人類はこの先いつかは原発を止める事を決断しなくてはいけない時がくるのだろう。
もしかしたら、それが今なのかもしれない。

by k2hair | 2011-06-25 06:53 | 震災 | Trackback | Comments(0)

復興ボランティア   

2011年 05月 16日
先月お客様のご主人が、被災地の復興ボランティアに行って来られました。
この方は、公務員の要職をされていた方で最近退職されました。
奥様も退職されたばかりなので、春になれば一緒に旅行と約束をされていたそうです。
しかし3月11日の震災で、旅行気分ではなくなってしまったそうです。
ご主人は、非常に正義感の強い方でテレビで被災地の現状を見て、居ても立ってもいられず一人で車を運転し福島県の南相馬市と宮城県の南三陸町のボランティアに行かれました。
南相馬市では、地震の影響で地盤沈下しており、一面泥の海だったようです。
その泥の除去作業をされたそうです。
作業が終わると、もうドロドロです。
自腹でビジネスホテルに泊まって、帰ってからどろどろの服の洗濯を自分でしなくてはいけなかったそうです。
食事もコンビニで買ってくるか自炊です。
南相馬市では、放射能の影響でボランティアに来る人が少なかったそうです。
後半は、南三陸町に行かれました。
5階建ての病院の4階まで水没した、被害の大きかった所です。
ここには、多くのボランティアが来られていたので、泊まるところがなく車で2泊されました。
自腹の高速代も馬鹿にならないので、夜中の半額になる時間帯を利用して帰って来られました。
慣れない作業と寝不足で、帰ってからもしばらく体調が戻らなかったそうです。

毎日放送の「ちちんぷいぷい」で西靖アナが、神戸市が募集した復興ボランティアに岩手県に3日間行った時のことをレポートしてました。
団体で行くので、大型バスで行きました。
釜石市(たぶん)の被災地は、地元の被災者でいっぱいで泊まる所がないので内陸側の遠野市の体育館で寝泊りして、釜石の被災地を往復します。
宿泊地の遠野市では、被災地で家を失った方と同じように、体育館で泊まります。
そして、炊事洗濯は、自分でしなくてはいけません。
体育館というのは、床が板なので、結構寒いのと、いびきや咳などの少しの音でも響くので、あまり寝られなかったそうです。
釜石での作業は、小学校のグランドの土の瓦礫やガラスの破片の除去作業です。
グランドは、一見何もなさそうに見えるのですが、本来の土の上に10センチほどの津波の泥がかぶさったのが乾いて土のように見えているだけで、少し掘ると破片がたくさん出てきます。
みんな慣れない作業なので、なかなか思うようにはかどらず、約5時間の作業でテニスコートぐらいの広さしかできなかったと、西アナは無力感を訴えていました。

私は、今行きたくてもお店のお客様がおられるので行く事はできない。
震災の当初、髪が洗えないとか、カットしたくてもできない方がたくさんいた。
いつか、リタイアした時散髪や洗髪のボランティアに行こうと思う。

by k2hair | 2011-05-16 06:59 | 震災 | Trackback | Comments(0)

ペットボトルの水を買わない方法   

2011年 04月 15日
ペットボトルの水が、一時期小売店の店頭から消えた。
今は、少しはましなようだがまだまだ少ない。
近江八幡に引っ越してくる前は、静岡市に9年間住んでいた。
静岡は防災意識の高い地域だ。
デパートの中の美容院で働いていたのだが、デパートでは年に3回必ず従業員全員で営業前に大掛かりな防災訓練をし、お客様を避難誘導する訓練があった。
そういう土地柄で、飲料水の確保の仕方を教わった。
それは、とても簡単。
まず、カラのペットボトルをきれいに洗って、浄水器を通していない水道水を詰めるだけ。
水道水を詰めるのは、水道水には微量の塩素が含まれているので、水が腐りにくいそうだ。
浄水器を通してしまうと塩素まで除去されてしまうので、必ず浄水器ははずして使用する。
ふたを閉める時に、ペットボトルの中ほどを押して空気を押し出しながらふたを閉めるようにする。
保存する時は、段ボール箱などに入れて、遮光すると2ヶ月ぐらいは飲用できるらしい。

我が家でも今、お茶のペットボトルの空容器で水道水入りペットボトルを増やしているところです。

by k2hair | 2011-04-15 06:40 | 震災 | Trackback | Comments(0)

お葬式ができるという幸福   

2011年 04月 03日
昨日来店されたお客様から、お店の近所にお住まいのお客様が一昨日お亡くなりになった事を聞きました。
教えてくださった方が2月に来店された時、となりに座っていた方が亡くなったお客様でした。
日曜日が告別式なのですが、すでに予約が入っており出席できません。
お通夜なら遅れて出席できるかもしれない。
昨日は、1日中とても忙しかったのですが最後の客様を思ったより早く終えることができたので、何とかお通夜に間に合いました。
この方は足が悪くて、いつも送迎させていただいていたのですが、気を遣われてそのたびにお菓子をくださるやさしいお客様でした。

通夜の最後にお坊様のお話がありました。
その中で、震災の話があり被災された人たちは、葬儀すらできない状態なのだという事をおっしゃっていました。
こうしてお葬式ができるということは、本当は幸福な事なのだ思いました。
人が亡くなることは、とても悲しい事なのですが、新しい所へ旅立っていかれるという事で、悲しむべき事ではないということをおっしゃってていました。

by k2hair | 2011-04-03 08:47 | 震災 | Trackback | Comments(0)

孫の力・その2(ある震災地にて)   

2011年 04月 02日
震災地の体育館で非難している人の中に、地震が起こるたった2日前にそば屋を新規に開店された方がいた。
津波のあと、店舗はめちゃめちゃになってしまっていた。
この方は、仕事を辞めたあと、娘さんと同居するために山形から引っ越してきて、開業されたそうだ。
60歳を過ぎているであろうと思われるその方は、恐らく定年後一所懸命にそば打ちの勉強されて念願のそば屋を開店されたのであろう。
60を過ぎてからの大決心を打ち砕くような目の前の現実・・・
しかし、娘や孫達と避難生活をしているその方は、記者のインタビューに「家族の命があって、孫達といっしょにいられるから大丈夫です」と気丈に答えられてれていました。
インタビューが終わったあと、突然声をつまらせて、ハンカチで目を押さえられていました。
私も13年前にいろいろな苦労の末、美容室を開業する事ができた。
この方は、新しい生活とお店の開業で、期待に胸膨らませて頑張っていた最中だっただろう・・・
さぞかし悔しかった事だろう・・・
しかしこれからの人生、前を向いてどうにか頑張って欲しいと思う。
娘さんやお孫さんたちが、一緒にいてくれるのだから・・・

by k2hair | 2011-04-02 08:03 | 震災 | Trackback | Comments(0)