カテゴリ:未分類( 702 )   

K2 HAIR MENU   

2018年 09月 22日
滋賀県近江八幡市堀上町159-41  場所はコチラ
TEL(0748)32-3912
営業時間 朝9:00~夜7:00  
定休日 毎週月曜日 第3日曜日                  
カット 3,800円 高校生3,000円 中学生2,800円 小学生以下2,500円
パーマ ショート8,200円~ セミロング8,700円~ ロング9,200円~  
カラー ショート4,400円~ セミロング4,600円~ ロング4,800円~
ヘアマニキュア ショート4,400円 セミロング4,900円 ロング5,400円~ 
縮毛矯正 ショート15,000円 セミロング16,000円 ロング17,500円~
 
「ブログを見た」とおっしゃってくださった初来店の方には、
パーマ1000円、カラー500円、カット500円(学割カットを除く)割引します
※ご予約頂いた方を優先させて頂いております
初めてご来店頂いた方には、お好きなシャンプー(200ml)をプレゼント! 
 
便利な移動式のシャンプー台はこちらをクリック 

by k2hair | 2018-09-22 11:14 | Trackback | Comments(0)

9月の休業日です   

2018年 09月 22日
3(月)・10(月)・16(日)17(月祝)24(月休)

by k2hair | 2018-09-22 11:13 | Trackback | Comments(0)

琵琶湖を泳ぐイノシシ   

2018年 08月 28日
以前、京都新聞に「イノシシ、琵琶湖1キロ超泳ぐ? 沖島で食害、目撃者続々」という記事がありました。
d0231858_12123922.jpg

                       (小川真莉菜さん撮影)


京都新聞の記事全文
琵琶湖に浮かぶ沖島(滋賀県近江八幡市沖島町)で、農作物がイノシシに食べられる被害が深刻だ。
湖面を進むイノシシの目撃情報もあり、専門家は対岸から1キロ以上を泳いで渡った可能性を指摘する。
高齢の島民たちを助けようと、猟友会はわなの設置に乗り出した。

 7月26日、沖島の山裾にあるサツマイモ畑で中村小梅さん(79)が立ち尽くしていた。
獣対策のため周囲を覆ったニゴロブナ漁の網は大きな穴が開き、苗50本についたサツマイモは掘り起こされ、一つも残っていない。
畑にイノシシの爪痕が点在し、茎をかじった跡も。
中村さんは「暑い中、肥料もやって世話した。これでは店で買った方がまし。
諦めるしかない」と嘆く。

 イノシシによる食害は数年前から目立ち始めた。
竹林を所有する茶谷多郎さん(64)は「以前はタケノコをお裾分けしたが、去年は10本しか採れず、今年は1本もない。イノシシは鼻が良く、タケノコが土の中に出始めたと思ったら既に食べ尽くされている。
何とかしてほしい」と困り果てている。

 泳ぐイノシシを目撃した島民も少なくない。
八幡高2年の小川真莉菜さん(16)は5月、島に戻る通船を待っていた対岸の堀切港で、沖を猛進するイノシシに驚き、スマートフォンで動画に収めた。

 島民約280人の半数が65歳以上で、畑の農作物は漁業と並んで自給に欠かせない。
自治会は5月、おり4基を設置したが、捕獲に至らず、大中猟友会が7月下旬、くくりわなを新たに2カ所に四つ仕掛けた。

 沖島出身の奥村輝夫会長(60)=同市大中町=は「味をしめた一部のイノシシが対岸から仲間を連れてくるだけでなく、住みついたのだろう。
島の高齢化が進むだけに力になりたい」と願う。


イノシシが琵琶湖を泳ぐという話はお客様から聞いたことがあります。

 小川真莉菜さんが撮影した琵琶湖を泳ぐイノシシの映像はコチラ
         (広告の後に再生されます)

上の動画は関西ローカルの「voice」という夕方のニュースの「憤懣本舗」というコーナーの物です。

私も夜に車で峠道を走っている時に、何回か道路にいるイノシシを轢きそうになったこ経験があります。
イノシシは普通、昼間ではなく夜中に行動するようで、なかなかその生態を捕らえることは困難なようです。

by k2hair | 2018-08-28 06:37 | Trackback | Comments(0)

理稀ちゃんを発見した尾畠春夫さんはスーパー山男だった   

2018年 08月 16日
d0231858_6534364.jpg

3日前から行方不明の藤本理稀ちゃんを発見した尾畠春夫さん(78歳)は、大分県から捜索ボランティアとして駆けつけました。

新潟県中越地震・東日本大震災・熊本地震・西日本豪雨などでもボランティア活動をするなど、ボランティアのレジェンドと言うべき方です。

尾畠春夫さんは捜索の前日に島に到着、理稀ちゃんのお母さんに「私が見つけて直接お渡しします!」と約束して捜索をはじめました。

すると、行方不明になってから丸2日間、警察と消防合わせて150人体制で捜索活動をしても見つからなかった2歳の藤本理稀ちゃんを、たった30分の捜索で見つけ出したのです。

捜索隊が島の下の方を捜していたのですが、「子供は上に上がるもの」と尾畠さんは上を目指して捜し、あっけなく理稀ちゃんを見つけちゃいました。

尾畠さんは、2016年末にも大分県で2歳女児が行方不明になっていたのを見つけた経緯がありました。
この時に女の子は上の方で見つかりました。
この経験があったので、尾畠さんは躊躇なく上を捜し理稀くんを見つけ出したのです。


尾畠春夫さんは、40歳で登山を始め58歳で北アルプス55座を単独縦走しています。
北アルプス55座縦走って、とてつもなく大変なことです。

ボランティアで地元の由布岳の登山道の整備するなど根っからの山男です。
理稀ちゃんを捜し出した時も、ザックの上にザイルを積んでいるなど、山の心構えが凄いです。

尾畠さんは66歳の時に経営していた鮮魚店を引退し、鹿児島県の佐多岬から北海道の宗谷岬まで日本列島を徒歩で横断する旅に出ました。
3ヶ月をかけて全行程3250キロを歩き、尾畠さんは無事ゴールしました。

ボランティアは「体力の続く限り続けたい」と言っておられます。
78歳の今でも毎朝8kmものランニングを続けているそうです(驚)

そして夢は、「100歳での祖母山登頂」と・・・
祖母山は日本百名山の1つで、私はまだ登ったことがないのですが、かなりしんどい山だと思います。

  ボランティアのレジェンドは
       スーパー山男だったのです

by k2hair | 2018-08-16 08:32 | Trackback | Comments(0)

岐阜でのちょっといい話   

2018年 06月 03日
うちのお客さんが、去年の夏に岐阜市に行かれた時の話です。

岐阜県庁に用があって、電車で西岐阜駅まで行かれました。

そこから歩いて行くつもりで、近くにいたおばさんに道を尋ねました。

おばさん「歩いたら30分ぐらいかかるわよ。 こんな暑い日に歩いて行ったら熱中症になるわよ。 私の車に乗っていきなさい!」

「大丈夫です、歩いて行きますので・・・」

「いいから乗っていきなさい!」
おばさんは強く言います。

「じゃあ・・・お言葉に甘えて乗せていただきます」
と、仕方なくお客さんは、おばさんの車に乗せてもらいました。

すぐに車は岐阜県庁に着きました。

お客さん「ありがとうございました、お礼をさせていただきます」
と言うと・・・

おばさんは「お礼なんて、そんなの私が勝手に送っていったのだからダメ!」
と、まったく受け付けてもらえません。

お客さんが困っていたら
「じゃあ、もしあなたが今度困っている人に出会ったら、あなたもその人を助けてあげて!」
と言って、車は走り去って行きました。

お客さんは、今まで岐阜に行ったことがほとんど無かったそうです。
でも、岐阜で出会ったおばさんの優しさにふれ、
「岐阜が大好きになった」とおっしゃってました。

by k2hair | 2018-06-03 07:18 | Trackback | Comments(0)

ダムに沈んだ村を撮り続けたおばあさんの写真展   

2018年 05月 22日
かつて岐阜県に徳山村という村がありました。
その村を流れる揖斐川の上流部にダム建設の計画が持ち上がリました。
黒部ダムを上回る日本1の貯水量のダムで、徳山村の村民の住む全ての流域が水没することになりました。

夫を戦争で失くし、その後徳山村で農業の傍ら民宿を営みながら暮らしていた増山たづ子さんというおばあさんがいました。
徳山ダム計画が本格化し、それまで写真など撮ったことが無かった増山さんは村が水没する前に残せるもの全て写真に残そうと、1977年からピッカリコニカで写真を撮り始めました。
d0231858_11505836.jpg


そんな増山たづ子さんは年金のほとんどをカメラにつぎ込み、マスコミにも取り上げられ、「カメラばあちゃん」の愛称で呼ばれるようになりました。
1985年に村を離れ岐阜市に移り住みましたが、その後も村に通い写真を取り続けました。

1987年に村は廃村になり、隣の藤橋村に編入されました。(その後藤橋村も揖斐川町に編入)
2006年増山たづ子さんは88歳で亡くなり、2008年徳山ダムは完成しました。
徳山湖と名付けられたダム湖に、村は沈みました。
d0231858_12323359.png


前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。
増山たづ子さんが残した村の写真展「ふるさとはカメラのなかに引っ越して~生誕100年 増山たづ子写真展~」が、滋賀県米原市の伊吹山文化資料館で開かれていましたので行ってきました。
d0231858_12383856.jpg


では、増山たづ子さんが撮った徳山村の写真をご覧下さい
d0231858_16132840.jpg

d0231858_16134840.jpg

d0231858_1614340.jpg

d0231858_16142560.jpg

d0231858_16144159.jpg

d0231858_1615113.jpg

d0231858_16152191.jpg

d0231858_16155977.jpg

d0231858_16162125.jpg

d0231858_16165751.jpg

d0231858_16172490.jpg


徳山村の家はつぶされ
d0231858_1618356.jpg


焼かれて
d0231858_16193451.jpg


そして村は消えました
d0231858_16201375.jpg


村のお別れ会
d0231858_16215097.jpg


増山たづ子さんは、消えゆく村そのものをカメラの中に引っ越しさせたのです。

たづ子さんが発表した写真集など
d0231858_18233059.jpg


「ふるさとはカメラのなかに引っ越して~生誕100年 増山たづ子写真展~」は、米原市伊吹山文化資料館で5月27日(日)まで開催されています。

住所:滋賀県米原市春照77番地  場所はコチラ
電話:0749-58-0252
開館時間:午前9時から午後5時まで(入館は午後4時30分まで)
休館日:月曜日、祝日の翌日
入館料: 200円

by k2hair | 2018-05-22 07:04 | Trackback | Comments(0)

がん保険CM出演、山下弘子さんの夫が語る数々の思い出   

2018年 05月 05日
アフラックのがん保険のCMで、嵐の櫻井翔さんと出演していた山下弘子さんが3月25日に亡くなられました。
d0231858_77284.jpg


うちの店に置いている週刊誌「女性セブン」に、山下弘子さんの夫の前田朋己さんのインタビュー記事が載ってました。

最愛の妻との「最期の思い出」を語るのは兵庫県議会議員の前田朋己さん(37才)。
彼の妻は5年以上に及ぶがん闘病の末、3月25日に亡くなった山下弘子さん(享年25)だ。
生命保険会社「アフラック」のCMに嵐の櫻井翔(36才)と出演し、「がんになって、いい子をやめました」と語っていたのを覚えている人も多いだろう。


亡くなる約1か月前の2月28日午前3時に妻から電話がありました。
「とも、行ってくるからね、手術室に,愛しているよ」と言われたから、「ぼくも愛しているからね」って返しました。
それから、「言うても、あなたは寝ているだけでしょ、頑張るのは医者やからね」と軽口を叩きました。

それが彼女との最後の会話になりました。
ただ、その時はぼくも彼女も、無事に手術を終えて戻ってくると思っていたんです…。

手術の直前、“ひろ”は友人と京都に1泊旅行へ。
昨年末から不安定だった体調が2月中旬から戻りつつあり、京都でお寺巡りや芸妓体験をしたそうです。
でも大阪の実家に戻った翌日に気管のがんが大きくなって出血して肺機能が低下。
2月28日に緊急手術をした後は意識が戻ることはありませんでした。

〈県議として多忙な日々を過ごす朋己さんは毎日、仕事を終えると、職場と病院を往復3時間かけて行き来して、眠ったままの妻を励ました。だが朋己さんや家族の看病の甲斐なく、弘子さんは帰らぬ人となった。〉

ひろはもう20回以上も手術を受けているので、今回も必ず帰れると思っていたはずです。
ぼくや家族にとっても「まさか」という結果になりましたが、ぼくは彼女に出会えたことを感謝したい。
妻と過ごした5年間はぼくの人生で最も幸せな時間でした。


2013年6月に私とひろと知り合いました。
ひろの第一印象は「若いのに頭がよくて考え方も面白く、 すごくいいな」というものでした。
が、彼女の方は「チャラい奴だ」と思ったみたいです。
髪形も爆発してたし、初対面でいきなり腰に手を回してきそうな勢いだったと後に言われました(笑い)。

その席で、ひろは「私、がんなんだよね」と言いました。
彼女はがんと言えば、ぼくが離れていくと思ったそうです。
でも、初めて2人で会った時、がんの話をあらためて聞いたぼくが目をウルウルさせたので、「この人は好青年だ」と感じてくれたようです。
それ以降、お互いを知るうちに、同じ空気感でノリも一緒だって気がつきました。

〈弘子さんは立命館大学在学中の2012年秋、肝臓がんが見つかり、「余命半年」と告げられる。10時間に及ぶ大手術を経て大学に復学したが、喜びは束の間だった。
肺への転移と肝臓がんの再発が見つかってしまう。
朋己さんが彼女と出会ったのはそんな時期だった。
治療と再発を繰り返すなか、弘子さんは高校時代の恩師から「講演をしないか」と声をかけられ、講演活動を開始する。
さらにSNSを通じた情報発信が話題を呼んで、テレビなどで取り上げられるようになった。〉

ぼくはつきあって1年目くらいから結婚を望んでいましたが、彼女のなかには、「私はあなたを残して先に逝くかもしれない」という葛藤があったようです。
ぼくも何人かの友人に「結婚は勧められない」と言われました。
でもぼくは、「がんなんて気にしなくていいよ」と彼女に伝えました。

人間はいつどう死ぬかをコントロールすることはできません。
ぼくはひろより一回り年上ですし、出歩く機会も多いから、交通事故で先に亡くなる可能性だってある。
そんなことで悩む必要はない。
お互い愛し合っているならいいんじゃないかと。だから、ぼくにとってがんが結婚の障害になることはなかった。

結婚に対して後ろ向きだったひろを変えたのは、『ゼクシィ』に書かれていた「結婚式の意義は親や友人へ感謝を伝えること」という言葉でした。
2017年6月大阪市内で挙式しました。

ぼくはひろの病気のことで泣いたことは一度もありません。でも彼女がウエディングドレスを着た時に、一度だけこらえきれず涙がこぼれました。
心から嬉しそうな表情の彼女がすごくきれいで、あまりに嬉しくて泣いてしまったんです。
d0231858_7194065.jpg


がんが見つかるまでのひろは、周囲の反応を見ながら相手が求める理想像を演じていたそうです。
でも、がんになって「他人が求める自分じゃなく、自分が行きたい自分を生きたい」と、思うようになって、アフラックのCMでは、「いい子をやめます」と宣言したのです。
どんな人生であっても自分が主人公なのだから、前向きに1分1秒を大切にして「今を生きる」事が何よりも大事なはず。
ひろはその事を命を懸けて伝えようとしたのです。

昨年、放射線治療をした時に、ひろが医師に「子宮に近いから卵子を凍結したほうがいいんじゃないですか?と聞いたら、「あなたはもう無理ですよ」と言われたそうです。
彼女は常々、「結婚と出産という人生のフルコースを味わいたい」と言っていたので、子供ができないと聞いた時には落胆して、泣きながら僕に伝えにきました。
本当に悲しそうでした。
僕は「子供ができない人生でもいいんじゃないの」と言って、「医療の進歩はすごいから何年か後に再生医療で子供ができるようになるかもしれんから、また期待すればいいんじゃない」と伝えると、彼女は希望が持てたのか、笑みを浮かべてくれました。

末期がんで標準治療が終わったら緩和ケアを勧められることも、患者にとっては死を待つことと同じです。
患者の立場からすると、わずかでも希望を持てることが残りの人生を生きる上で非常に重要。
そうした治療法を広めたいとひろはずっと望んでいたので、僕は政治家としてその遺志を継いでいきたい。
妻と同じ苦しみを持つ人に同じ思いをさせないように、さまざまな仕組みを変えていくことが必要だと思います。

弘子さんの通夜では、50代の男性が訪れた。
ステージⅢの肝臓がんがわかり、自暴自棄になっている時に弘子さんを知り、「20歳そこそこの子が頑張っているのに、おれも頑張らないと」と勇気を出して治療に励み、完治されたのです。

彼女のメッセージが多くの人に生きる希望を与えたのです。

山下弘子さんのブログ  「今を生きる 〜山下弘子のほのぼの日常〜 」  は4月14日の弘子さんのお母さんによる記事で終わっています。

その中で母と娘のこんなやり取りが記されていました。
弘子は、
“不幸やねんけど、今が幸せ!
“心残りは?”と聞かれたら、
“朋己さんを愛したらない!”
とよく言っていました。


 ※女性セブン2018年5月10・17日号より引用

by k2hair | 2018-05-05 13:49 | Trackback | Comments(0)

明けましておめでとうございます   

2018年 01月 01日
 明けましておめでとうございます
 

  1月3日まで連休させていただきます
  4日(木)より営業いたします


今朝、テレビ朝日を見てたら偶然ダイヤモンド富士の生中継をやっていました
d0231858_22284453.jpg

途中から見たのでどこか判らなかったのですが、たぶん河口湖大池公園だと思います。

水面に写った富士山と実物が両方写っているのが素晴らしい!

   今年もよろしくお願いしますm(_ _)m

by k2hair | 2018-01-01 22:42 | Trackback | Comments(0)

がんで亡くなった専門医が、がん検診の大切さを訴える   

2017年 09月 03日
金沢赤十字病院副院長だった西村元一さんが、今年5月31日に胃がんで亡くなられました、58歳でした。

西村さんの専門は消化器内科で、いわゆるがんの専門医だったわけです。
しかし、西村さんは自分はがんにならないだろうと、5・6年内視鏡検査を受けてなかったのです。

これは以前NHKの「おはよう日本」で紹介された、西村さんが亡くなる4日前に撮影された、がん検診の大切さを訴えるビデオです


西村さんは、がんが見つかる前に、「がん患者が一人の人間に戻れて、生きる喜びを感じられる家庭的な場所を」という狙いがあるイギリスの「マギーズ・キャンサー・ケアリング・センター」の存在を知りました。

金沢にもそのような施設を作ろうを思い、医師や看護師・管理栄養士らで運営するNPO法人「がんとむきあう会」の仲間と「元ちゃんハウス」を昨年12月1日にオープンさせました。

「元ちゃんハウス」は患者と家族が集う場です。 詳細はコチラ


西村元一さんは、「元ちゃんハウス」の完成を生きて見ることができるかどうかわからなかったのですが、無事に完成の日を迎えて、感極まったそうです。

西村さんは亡くなられましたが、その遺志を継ぐ「元ちゃんハウス」は金沢のがん患者とその家族の心の拠り所となり続けることでしょう。

私も、昨年初めて内視鏡検査を受けました。
女性のがんの死亡の1番の原因は大腸がんです。
少なくとも3年に1回ぐらいは胃と大腸の内視鏡検査を受けておいた方がいいそうです。

by k2hair | 2017-09-03 09:02 | Trackback | Comments(0)

会津藩士も見た? ファンキーな石仏   

2017年 08月 17日
先日、お墓参りに京都に行った時に面白い石仏を発見しました
d0231858_18571021.jpg

d0231858_18572972.jpg

めっちゃ盛り上がったアフロヘアーです。

この石仏はサタデーナイト・フィーバーが大ヒットした翌年の1978年に作られた(嘘です)訳はなく、江戸時代中頃の制作だと言われています。

「五劫思惟阿弥陀仏(ごごうしゆいあみだぶつ)」と言って、気の遠くなるような長い時間思惟をこらし修行をした結果、髪の毛が伸びてアフロの様になったという仏様です。

この石仏は、通称「黒谷さん」と言われる京都市左京区の金戒光明寺にあります。
私の母方が金戒光明寺の塔頭の檀家で、お墓が広大な墓地にあります。
d0231858_20362990.jpg

d0231858_2037514.jpg

d0231858_21375034.jpg


金戒光明寺は徳川家と同じく浄土宗の大本山で、幕末に新撰組の後ろ盾となった京都守護職の会津藩が駐屯した場所です。
城のような小高い丘に位置し、石垣や堅牢な門もあり、イザという時にはここに籠城して新政府軍に対抗出来うる場所だったのです。

アフロ石仏のある場所は、三重の塔に向かう階段に取り付いてすぐの左側にあります 場所
d0231858_21263859.jpg


その先には会津藩士の墓地もあります
d0231858_21273327.jpg


金戒光明寺は、幕末に日本の歴史が動いた場所でもあるのです。

by k2hair | 2017-08-17 21:44 | Trackback | Comments(0)