三毛別羆(さんけべつひぐま)事件
2019年 08月 09日

3年前の5月から6月にかけて、秋田県鹿角市の山林で山菜採りに来ていた4人が相次いでクマに襲われた事件がありました。
その時のブログはコチラ
今からおよそ100年前の1915年(大正4年)12月、北海道の開拓民8名がヒグマに襲われて死亡するという獣害としては日本史上最悪の被害を出した事件がありました。
後に「三毛別羆(さんけべつひぐま)事件」と呼ばれています。
8月1日(木)にNHKのBSプレミアムで放送された「ダークサイドミステリー」のテーマは、「三毛別ヒグマ襲撃事件の謎に迫る」でした。
本州にいる熊はツキノワグマですが、北海道にいるエゾヒグマはさらに大きく、こんなに大きな個体もいるのです。

この写真は、平成27年に北海道紋別市のトウモロコシ畑で駆除されたヒグマで、体長3m・体重は300kgもあったそうです。
三毛別ヒグマ事件のヒグマは、トウモロコシ畑で駆除された巨大ヒグマよりもさらに大きく体長3.5m・体重340kgもあったそうです。
人と比べるとこんなイメージです

クマは草食で、動物を襲って食べることはありませんが、死んだ鹿などの肉を食べることはあるそうです。
ですから普通は人を襲うことはありません。
人を恐れているので、人の気配を感じると避けていきます。
では、なぜ三毛別ヒグマ事件が起きたのか?
当時の開拓者の家は、このような粗末な小屋でした

部屋は狭く、外に収穫したトウモロコシを干していました

越冬前に食べ物を捜していた巨大ヒグマは池田家のこの干しトウモロコシを見つけたのです。
外で獣の気配を感じた池田富蔵が外の出ると、干しトウモロコシが食い荒らされていたのです。

そして大きな足跡も・・・

池田富蔵は、集落で唯一鉄砲を持っていた金子富蔵を呼び寄せヒグマを待ち伏せしました
ヒグマがやってきて金子富蔵が発泡したのですが、普段は開拓民で鉄砲の手入れをしていなかったために命中せず、ヒグマは逃げていきました。

その9日後、集落の男たちは川に掛ける橋を造る作業をしていました。
トウモロコシを食い荒らされた池田家よりもさらに上流部にある太田三郎の家はこの集落では珍しく板張りの家でした。

夫が橋の作業で留守中、妻のマユと太田家に預けられていた少年の幹雄がいたのですが、三郎が帰ると家の壁には穴が空いていました

家の中には幹雄の死体がありました。
幹雄の顔下に付着した血の塊と、何かでえぐられた喉元の傷、側頭部には親指大の穴があいていたのです。
おそらく、トウモロコシを食べようと窓に近づいたヒグマの姿にマユと幹雄が驚いて悲鳴をあげ、ヒグマを刺激し襲われたのでしょう。
マユの遺体はなく、裏山の斜面の木の下の雪の中に半身だけがヒグマによって埋められていました。
マユの遺体を持ち帰り、太田家ではマユと幹雄の葬式が行われていました。

式の最中に、マユの遺体を取り戻そうとしたヒグマが再び太田家を襲ったのです

マユの遺体を自分の餌だと思ったクマが、板壁を破り侵入してきたのですが、銃で追い払うことができました

そのころ下流部にある明景家には明景家と斎藤家の女・子供と男手の長松要吉の10人が避難していました

そこにあのヒグマが現れ、6人の命が奪われたのです。
6人の中には、妊娠していたタケと生まれる寸前の胎児も含まれています。

騒ぎを聞きつけた男たちが明景家を囲みます。
中では肉を咀嚼し骨を噛み砕く異様な音が響き、熊の暴れまわる鈍い音がしていました。

銃を発泡して威嚇すると中からヒグマが飛び出し、撃ちあぐねている間にヒグマは姿を消しました

開拓民の集落の人々は、山を降りることにしました


その後、人のいなくなった集落の8軒のニシン樽や家畜をヒグマは悠然と喰いあさっていったのです

そして、警察隊の主導でヒグマ討伐隊が組織されました


その中に伝説のマタギの山本兵吉もいました

山本は討伐隊から離れ、山の反対側から登りました。
山の上でヒグマを見つけ2発の銃弾を放ちました

銃弾は急所の心臓と頭部を貫通していました

ついに巨大ヒグマは死にました

どうしてこんな事件が起きたのか?
番組で検証してみると・・・
①人里に近づく(本来は人を避けるヒグマが人家に近づく)
②干したトウモロコシがぶら下がっているのを食し、人里に近づくといいことがあると学習する
③悲鳴をあげたことで、人が弱いと知る
④人を食べたことで、人肉の味を覚える
以上4つの出来事で人食いヒグマが誕生したのです。
今は誰も住んでいない現地には「三毛別ヒグマ事件復元地」があって、当時の開拓民の質素な小屋とその横にヒグマが復元されています。

冒頭で紹介した通り、本州にいるツキノワグマでも人食い事例が起きています。
山に入る時には、くれぐれもご注意を!

