善作逝く 「カーネーション」
2011年 12月 20日
糸子にこしらえてもらった純毛の国民服を着て上機嫌で岸和田を出て行ったのに、旅行先の温泉地からお骨になって帰ってきた。
「チチ キトク」の電報を受け取った後糸子は、家を飛び出した後、家の前で善作を見かける。
糸子が泣きながら「行かんといて~」と話しかけても、善作はニコニコしたまま「イトコ」とささやくように見えたが、そのまま消えてしまう。
その時、糸子は善作がお別れを言いに来たのだと悟る。
戦時中、質素に暮らすように国民に強制させられていた時勢だったが、糸子は祭壇をこしらえて葬儀を出すと宣言する。
自分の言う事をきかないと平気で娘に手を上げたり足蹴にする。
娘の稼いだ金で毎晩のように飲み歩き飲んだくれて帰ってくる。
しかし、糸子がミシン販売員の根岸先生に洋裁を習いたいと懇願すると、善作は根岸先生に土下座して御願いした。
糸子が洋裁で生計が成り立っているのも、善作が必死になって根岸先生を家に連て来てくれたからこそなのだ。
善作は、普段はどうしょうもない男のだが、やるときはやる男なのでした。
善作の意地っ張りで負けず嫌いなところは本当に糸子にそっくりでした。
善作は、まわりの人間から見たらどうしょうもないない父親だったが、糸子にとって父親の善作は大切な最愛の父だったのです。